ソバの花。2009/10/01 07時20分

ソバの花。
里山の畑にソバの花が咲き乱れている。

ひょろっとした茎に白い小さな花、ちょっと地味な感じもして、知らない人が見ると、雑草の繁茂した荒畑に見えるかもしれない。

それでも山裾の広い畑一面にソバの花が咲いているとなかなかキレイなもんだ。。

ソバは年に数回栽培ができるらしいのだけど、こちらでは夏に種を蒔いて今の時期に花が咲くというのが一般的なようで、咲き乱れるソバの花は秋の風物詩というやつなのだ。。
こちらでは焼畑の習慣が少しだけ残っている。

焼畑というのは木を伐った後の山に火を入れて、そこで数年間ソバやヒエなど穀類を栽培し、また山に戻すという農業で、昔の日本では盛んに行われていたらしい。

この焼畑で作られたソバがとてもウマいと評判だそうで、そば粉が土産物屋やスーパーなどで、ちょっとした高値で売られている。

こういうのはつなぎ無しそば粉100%で食べるのがうまいのかもしれないが、残念ながら自分はそばの味の違いなんてあまりよくわからない。

つなぎたっぷりコシのある安いそばの方が好きなのだ。。

壷か甕か。2009/10/02 07時02分

壺だろう。
深い山の谷間から、大きな壺を拾ってきた。

コレ、重さなんと15キロもある!!

口の部分がやけに小さくなっていて、取っ手のようなのがついている。

たぶん酒などを入れて馬か牛の両脇にぶら下げるような形で運ぶのに使ったのではないかと想像。

満タンにすればひとつで40キロくらいになるんじゃないだろうか、、、大変だったろう、これを山奥まで運んだ牛馬は。。。


ところでこういうのって「壺」と言うのか「甕」(かめ)というのか、よくわからなかった。

調べてみると「壺」というのは口の径が胴体の一番太い部分の径の2/3未満のもので、口の径が大きくなると甕(かめ)と呼ぶそうだ。

それならコレは壺で間違いないわけだ。。

じゃあ瓶と壺は、どう違うんだろ???

実は山にはこういう大きな壺の破片がたくさん落ちていて、昔はこういう壺がごく日常的に使われていたことがうかがえる。

しかしなぜか全てと言っていいくらいバラバラに割られていて、今まで山の中で完品と言えるものは全く見つかっていない。

そんな中で、コイツが一番完品に近いモノ。

口の部分が少し欠けているが完全に原形をとどめていて、今なお問題なく実用可能と思われる。

残念ながら自分は酒や焼酎を何十リットルも貯蔵する程の酒豪でも酒好きでもアル中でもないので、ちょっと豪勢な花瓶みたいに使えるのではと思い、苦労して持ち帰ってみた。

もうすぐ十五夜ですからね。。

セミの幼虫。2009/10/03 07時15分

セミの幼虫発見。
土をほじくっていると、セミの幼虫がでてきた。

セミの幼虫と言えばなんとなく見慣れている感じがするのだけど、実際見慣れているのは抜け殻。

生きた中身入りのセミの幼虫は地中で木などの汁を吸って生活しているので、見かける機会というのはとても少ないと思う。

夏の羽化の時期なら羽化直前の幼虫が木の幹を登っているのを見ることがあるのだけど、地中にいるセミの幼虫を見るのは初めてかもしれない。。


一般にセミというのは幼虫の期間が非常に長く、アブラゼミで6年くらい、もっと長いものではアメリカにいるジュウシチネンゼミというのが17年とされている。

とんでもない長い期間を地中で過ごすわけなのだけど、幼虫をアロエの株の根元で育てると普通より格段に早く成虫になるそうだ。

例えばアブラゼミだと3年くらいで成虫になったりするとか。

これがセミにとってありがたいことなのか迷惑なことなのかわからないが、、、


以前「子供ラジオ相談室」を聞いていると、アメリカのジュウシチネンゼミをアロエで育てるとやっぱり早く成虫になるのかと言う質問があった。

ジュウシチネンゼミは17年周期で大発生をするそうなのだけど、コレがもし10年くらいで成虫になってしまったら、フライングしたアロエゼミはさみしい思いをすることになるだろう。。

実際これが試されたことはないらしく、機会があれば試してみてくださいとのこと。

1年くらいならともかく、3年や5年でもちょっとムリだな。

たぶん忘れてしまうだろう。。

ススキと団子と中秋の名月。2009/10/04 08時35分

ススキと団子と中秋の名月。
昨夜は十五夜、お気に入りのガラスびんにススキを飾り団子を供えて中秋の名月を眺めた。

ここのところ一週間くらいずっと天気が悪かったのに、この週末だけよく晴れてくれたものだ。。

県境のアチラ側。2009/10/05 06時39分

Y町での収穫。

休日などによく買い物へ行く熊本県側のY町。

直線距離ではとても近く、隣町とも言えるのだけど、実際はぐるりと遠回りをして行かなければならない。

そんなY町に気になる場所があり、買い物ついでにブラブラと巡ってみた。


今まで気になっていた場所というのが、山奥の林業集落跡。

そこには大正5年から昭和55年まで人が住んでいたとのこと、、きっといろんな宝物が眠っているに違いない。。

真っ暗なトンネルをいくつも抜けて、、

砂利道の林道を行くと、、、

あった、これは小学校の跡だ。

ずいぶん大勢の人が住んでいたようで、川沿いのあちらこちらに石垣の跡などがある。

そしてそこら中に散らばる、、、!!

びん垣!??

チャカ!???

しかし残念ながらほとんど新しいものばかりで、どちらかというと生々しいゴミの山。

これが宝物になるにはあと50年ほど待たねばならない。。

今回は少しだけ回収して引き上げることにした。

なかなか状態の良い3つコブのニッキ水が見つかったので、まあ良しとしよう。。